しりこだまのむこうがわ

子供の頃、祖母の家にあった汲み取り式のトイレ(いわゆるポットン便所)が怖かったです。
ひとたび足を踏み外したら、便器の中に吸い込まれて、二度とこの世には戻ってこれないのでは
ないか、と思わせるような、異空間が確かにそこにはありました。


また、便器の奥底から何者かの腕が現れるのではないか、という不安もあったため、無防備な臀部を穴の
上にさらすことには抵抗がありました。
というのも、ちょうど同時期に、何かの本で、「河童は人間のしりこだまを抜く」という情報を得ていたので、
ポットン便所の中に河童が忍び込めばしりこだまを抜き放題だよなあ、と考えたからです。
そのため、祖母の家のトイレを利用する際は、しりこだまを抜かれる前に用を足さなければ、と本気で
考えていた時期があり、颯爽と用を足した後は、そのたびごとに、
ああ、今日もしりこだまを抜かれることなく健やかな尻を守り抜くことができたなあ、
と心の底からほっとしていたわけなのです。



そんな祖母の家にも近代化の波が押し寄せ、今では、ウオッシュレット付きの洋式トイレへと様変わり
しました。
洋式トイレであれば、トイレの底に人が落ちる危険性もないですし、河童が出てこれるスペースが非常に
乏しいため、しりこだまを抜かれる危険性もないと言っても過言ではないでしょう。
こうして、私の尻には永遠の平穏が訪れたかに見えた・・・のですが、いやはやなんとも、人生とはそんなに
甘いものではなかったのです。



数年前に、テレビを見ていたときのことですが、水をもの凄い勢いで噴射することで、金属さえも切断すること
ができるウォーターカッターなるものが紹介されていました。
その番組を見て、私は思いました。
ウオッシュレットの水流が何かの拍子に故障して、ウォーターカッター並に、もの凄い勢いで噴射
してしまったら、私の尻を貫通して肉体は切断されてしまうのではないか・・・、と。
はたまた
たいやきくんが、毎日毎日鉄板の上で焼かれたために、嫌になって、ついには海に逃げ込んで
しまったように、ウオッシュレットも突如自我に目覚め、
「来る日も来る日も、いけ好かない主人の尻を洗うのなんてまっぴらだ!!」
と思い、
「これまでの恨み思い知れ、俺は自由だ!」
と叫ばんばかりにウォータカッターで尻を切り刻まれたら、ひとたまりもないだろう、と、
私は、そのように考えたわけです。


嗚呼、時代が進化し、洋式トイレへと変わったおかげで、しりこだまを求める河童の手から逃れることが
できたなあと、ほっとしたのもつかの間、
今度は時代の進化によって生み出されたウオッシュレットなるものによって、私の尻が脅かされる日が
来るとは夢にも思いませんでした。


それからというものの、私は、ウオッシュレットを利用する際に、運悪くウォーターカッターのことを
思い出してしまった時は、
「今日はレーザー光線のような勢いのある水流が出て、私を貫通しませんように」
と願いをこめてボタンを押すのです。
そして、何事もなく済んだときは、ああ、今日も無事に健やかな尻を保つことができてよかった、
尻の神様ありがとうございます、と天に感謝の意を示すわけなのであります。