ワンダークラクション〈後編〉

住宅街の細い一車線の道路を運転していたときのことだ。
他に車も見あたらなかったのだが、見通しの悪い道だったため俺はスピードを抑えて直進していた。
すると、突然脇から軽自動車の鼻先がひょっこりと現れ、ろくに左右の確認もせずに左折しようと
行く手をさえぎったではないか。
強くブレーキを踏んだので衝突は避けられたが、危ういところであった。
運転席を見ると50過ぎぐらいのおばちゃんが非常に驚いた様子でこちらを見ている。
少しも謝るそぶりを見せず、しかもそのまま左折を続けようとしているおばちゃんのあまりの
マナーの悪さに俺はクラクションに手をかけてしばし、悩んだ。            

                   

自分は今までクラクションを封印してきた。それは相手に必要以上に威圧感を与えて不快にさせるからだ。
しかし、今回のケースはどうだ。明らかに相手が悪い。クラクションで与える不快感以上の不快感を与えられた
じゃないか。それにここで甘い態度に出たら、このおばちゃんはいずれ同じことを繰り返すだろう。
その時は大事故につながるかもしれない。そうならないためにも自分がここで強くクラクションを鳴らすべきだ!
そうなのだ、鳴らすべきなんだよ!!


そう自分に言い聞かせることで、使命感にも似た思いを強めた俺は力一杯クラクションを鳴らした。


《ブブッ!》


「うわっ!!」
初めて自らの手で発生させた不格好な音は、想像していたよりも大きい音で辺りに響き渡ったため、
鳴らすやいなや、思わず身をのけぞらせてしまった。
・・・しかし、こんなことでクラクションを終えるわけにはいかない、おばちゃんのためにもここはもっと強気で
しつこく鳴らし続けるべきだ。
そう考えた俺は心を鬼にしてクラクションを続けた。


《ブッブー・ブブブブー!!》


いょーしっ!やったぞ、ついに俺はやってやったぞ!長年封印していたクラクションを開放しておばちゃんに
正義の制裁を下してやったのだ!!
見たか、おばちゃん。
そう思って顔を上げると、さきほどまでそこにいたはずの軽自動車が消えていた。
・・・ま、まさか?
おそらく始めにクラクションに手をかけて数秒間悩んでいた時に、おばちゃんはそそくさと逃げていったのだろう。
・・・ちくしょおぉぉぉ!!!


《ボベベベベベ・・・!!》


鬱屈した思いを存分に込めて、しばしの間、俺はクラクションを激しく鳴らし続けた。
するとどうだろう。不思議なことにあれほどまでに嫌悪感を抱いていたはずのクラクションの響きが逆に心地良く
なってきたではないか。
自分の中に潜んでいた自己顕示欲が一気に爆発したかのごとく、そのまま俺は手を休めることなく
ラクションを鳴らし続けた。
スタープラチナァァァ!オラオラオラオラ・・・・・・・!!」


《ブボブボブボブボブボォォォ!!》


「か・い・か・ん」
ひととおり鳴らし終えた俺は、機関銃をぶっぱなした薬師丸ひろ子のような気分だった。
今やすっかりクラクションの虜である。
そのため、さらなる気分の高揚を求めてよりよいクラクション表現を模索してみることにした。
三三七拍子のリズムで鳴らしてみてはどうだろう?
いや、それよりも笑点のテーマをクラクションで表現してみるというのはどうだ?
・・・うむむ、なかなかの妙案かもしれないぞ。
そのように結論づけた俺はすぐさま、姿勢を正し、クラクションに手を添えて気持ちを落ち着かせた後に鳴らし始めた。
「きけ!わだつみのこえ!そーれ、ぷっぷくぷーのぷー!!」


《ボッボボ・ブボボボ・ボッボ・ボベ!・・・》


ラクションで表現した笑点のテーマは、それはもう筆舌に尽くせぬ心地良さであった。
ラクションの音は本来一定ではあるが、俺の脳内を通して確かなメロディーとしてそれは住宅街を駆けめぐっていった。
笑点のテーマが終盤にさしかかったころだっただろうか。
窓をゴンゴン!と強く叩く音が気になったため、クラクションを鳴らす手を止め、「邪魔をする奴は一体誰だ?」
と思い窓の外を一瞥してみると、強面の40過ぎぐらいの男性が怒りを露わにしてこちらをにらみつけていた。
まさか・・・
そう思って恐る恐る後ろを振り返ると車がずらっと一列に並んでいた。
どうやら車一台がやっと通れる道路に俺の車が長時間停まっていたため、後ろから来た車は遮られていたようだ。
しかも自分の車のクラクションを鳴らし続けていたため、他の車が鳴らすクラクションの音や窓を叩く音に
全く気づいていなかったようなのだ。
ああ・・・なんということだろう。
俺は首をうなだれたまま、反省の思いを強く込め《ボペッ》と小さくクラクションを鳴らした。