男の体の中心部でぶらぶらしており、人によっては色、形、大きさの異なるモノの話

最近はあまり日記を書いていなかったので、今日はもう少しがんばろう。


私の住んでいる本州の北の方は最近はだいぶ涼しくなってきたのですが、それでも昼間の
仕事中は暑くて仕方がないです。
そのようなとき一番憤りを感じることと言えば、「ネクタイ」
これに尽きます。


なんなの!ネクタイって!
ねえ。
なんなの!ネクタイって!
キィ〜!!


おっと失礼。少々取り乱してしまいました。
話を続けましょう。
くそ暑い時期でも仕事中にしかたなく身に着けるものなんだから、せめてネクタイに冷暖房機能とか
つければいいのにさあ。何の役にもたたず、ただ男の体の中心部でぶらぶらしているだけでやんの。


謎である。
ネクタイは謎である。
最初にネクタイを考案した人は一体何を思って首から布切れをぶらさげようと思ったのだろう、
そのような疑問で一杯になったので少し調べてみました。
そうしたらこのようなことが書いてありました。


古代ローマの戦士たち。行進をしている戦士は、首に巻き物をしていたというのだ。また一方で、ローマの政治家キケロと彼のまわりの政治家たちも、寒い日に演説をする際、声がよく出るように首にウールの細長い布を巻いいたとか。
(中略)荒々しいクロアチア騎兵が、トルコ群勢を制覇した祝賀のために、ルイ14世の宮廷に現れた。彼等の首には、明るい色のスカーフが巻かれ、正面で結ばれていた(土地を徘徊している野蛮な人々と自分達を区別するため)。それを目にした、フランスの王侯貴族たちは、その美しいスカーフの巻きかたを真似し、クラバット(首巻き=ネクタイ)と呼んだ。やがてその結び方は、世界中の人々も真似するようになり、今のネクタイ・スタイルへと定着していった


ははあ、なるほど。ネクタイは歴史的な流れの下に存在しているものだったんですねえ。
でも、だからといって仕事中暑さを我慢してまで身に着けるものでもないと思うのですが。


と思っていたら、調べるうちにネクタイ無用論というものを唱えている人が
結構いるということがわかってきました。
無用論に対する意見はこれ。


ネクタイは紳士の唯一のお洒落ポイントであるVゾーン(胸元)を飾るという立派な役割を持っています。一部のカジュアルウェアを除いてビジネスウェア用の服地は、シックで、エレガンスな色柄に織り上げられているので、洋服自体で充分な個性表現、お洒落感覚の発揮はできません。これを補ってくれるのがネクタイです。
(中略)ネクタイが背広服とワイシャツとの関連において、既に一体のデザインを形成しているからでしょう。その証拠にワイシャツを着てノーネクタイの姿を私たちはやはり<異様>に感じます。


うーん。この意見はなかなか共感できるような気がするけれども、そのデザインをなんとか
変えよう、人々の固定観念を打破しようというネクタイ反対派のデモ活動でも起きてくれればなあ、
という気もします。
結局どうしようもないことなんですかねえ。
このような結論に至ることを、私は非常に悲しく、せつなく考えてしまうのですよ。



話は先月東京に行ったときのことになりますが、そのとき駅の人の多さに驚いた私は
「こんなに人が多かったら、自殺者も多いのだろうか」
というようなことを考えていたんですね。
ちょっと前に2003年の自殺者について調べてみたら、予想通り東京の自殺者が一番多かったんです。


人口に対する自殺者の割合という、いわゆる「自殺率」では北海道が一番高いらしいのですが、
どうやら人口が多い東京だと、自殺者も必然的に多くなってしまうようなんです。


さて、私の記憶が確かならば自殺理由の第一位が「経済的な理由」だったと思います。
そして、自殺方法の第一位が…なんだったのかは忘れましたが、確か首吊りは道具の準備が簡単で、
お手軽に実行できることから上位に入っていたと思います。


ここからは私の推測ですが、経済的理由で自殺した人の中には会社がつぶれた人やリストラされた人
が多く含まれていると思うのです。
そういう人たちが、少しでも楽になりたくて手軽に実行できる首吊りにより命を絶つということ。
これは、非常に悲しくせつないことだと思うのです。


つまり、真夏の暑苦しい時期でも全く無意味としか言いようのない「ネクタイ」とかいう
細っちょろい布切れを首にしめる。
そして、ネクタイがうっとおしくても汗水たらして会社のために身を粉にして働いても
リストラされて首吊りを選択した人が多くいる(と仮定する)。


サラリーマン時代は紳士の唯一のお洒落ポイントであるVゾーン(胸元)を飾るという役割しか
能のない無意味な「ネクタイ」とかいう布切れに首をしめられ苦しみ、
その後、首を切られてネクタイで首をしめることから開放されても、今度は経済的理由から生活に苦しみ
最後に、毎日の苦しみから逃れようと命を絶つために首をしめ、自らが無意味になる。


こういう首絞めに始まり首絞めに終わるという人が、東京にはたくさんいるのかなあと想像すると
本当にせつなくなりますねえ。



今度東京に行くことがあれば、あえて「生」がせわしなく動き回る人ごみの中に呑まれながら
首吊りで死んだサラリーマンについて思いを寄せることにしたいと思います。