行間を読むことに疲れ果てて,JAMおじさん。

近所のスーパー「ユニバース」に買い物に行くと,雑誌コーナーに,世界の謎と不思議に挑戦することで有名なスーパーミステリーマガジン「ムー」が二冊置いてあったので,主な客層が主婦であるユニバースにムーが置いてある(しかも二冊も!)とはなにごとであるかと不可解に思い,しばし目を奪われていると,さらに表紙に書かれた「新生活特大号」という文字が目に飛び込み私の心をわしづかみにしたのです。
思わず購入しそうになったのですが,そこは,ぐっとこらえてマガジンとサンデーを読むことに集中しました。
しかし,どうして,心を奪われたのかすぐには理解できなかったため,パンを買っている最中も,烏龍茶を買っている最中も,帰りに車を運転している最中も,困惑しながらずっと考えていたのですが,おそらく,非日常的なオカルト情報を扱う雑誌の表紙に,突如日常的な「新生活」という文字が入り込むという,いわば,非日常と日常のコラボレーションにより妙な面白みが発生し,私の心をとらえたのだろうなあ,という結論に至りました。


ところが話はここから本題に入るのです。
ムー編集部はなぜ新生活特大号を出そうと思ったのでしょうか。
新生活だからそれで何なんだと。
まさか新生活を応援するためにオカルトを特大にしようと思ったわけでもないでしょうに。
そうなのです。新生活だろうが旧生活だろうが,ムーはムー。
いつの時代も変わることのないムーであるはずです,たぶん。
テレビ東京のようにどのような大事件が起きようとも,何事にも動じずに己のポリシーを貫き通す覚悟を持った雑誌なのではないでしょうか,おそらく。
(注:この感想はイメージです。)
「新生活」と「(ムー)特大号」,出会うはずのない二つが出会ってしまった現実をどのように読み解けばよいのでしょうか。
以下,他の類似例を参考にしながら検討してみましょう。


「お正月」と「ドラえもん
この二つの出会いならばわかります。
年始に放映される「お正月だよ!ドラえもん
この特番名にはきっと
「お正月だよ!子供たちは冬休みで家にいるし,お父さんはお正月休みで家でごろごろしているでしょうから,お母さんもお正月くらいは家事を休んでゆっくりして,こたつでみかんでも食べながら家族そろって見ようよ,ドラえもんを」
という意味がこめられているのでしょう。


「8時」と「全員集合」
この二つの出会いならばわかります。
1969年から1985年の間に放送されたザ・ドリフターズ主演のバラエティ番組8時だョ!全員集合
この番組名にはきっと
「8時だョ!お茶の間のみんなは,夕飯を食べ終えた頃かな?家族団欒のひとときを楽しんでいる頃かな?そんなゴールデンタイムに家族そろって笑って楽しめるゆかいな番組が今からはじまるよ,みんなの人気者ザ・ドリフターズが全員集合するから,テレビの前に家族全員集合してね」
という意味がこめられているのでしょう。


「ボス」と「ケテ」
この二つの出会いならばわかります。
セガのロボピッチャを改造して作られた通信機から信号弾のように打ち上げられた伝言文字ボスケテ
この文字にはきっと
「ボス決して走らず急いで歩いてきて そして早く僕らを助けて」
という意味がこめられているのでしょう。


そうです。大抵のフレーズは,その行間を読むことによって,どのようなことを言わんとしているのかを読み解くことが可能なのです。
「お正月」と「ドラえもん」,「8時」と「全員集合」,「ボス」と「ケテ」,それぞれのフレーズの出会いには,そのような組み合わせでなければならなかった必然があるのです。
しかし,ムーなのです。
「新生活」と「(ムー)特大号」
この二つの出会いは何を意味するのか。
無理矢理関連づけるとすれば,
「新生活といえば4月,4月といえば春。春になってネス湖の水温も上がってネッシーの動きも活発になってきたからページを増やして特集するよ。みんな読んでね!特大号を」
でしょうか。
はたまた
「新生活といえば4月,4月といえば春。春になって雪男の雪が溶けてただの男になりさがって村へ出稼ぎに行ったからページを大幅に増やして特集するよ。みんな読んでね!特大号を」
でしょうか。
いや,待て。果たしてネッシーの最適活動温度は何度なのか。変温動物なのか恒温動物なのか。雪男は普段何を生活の糧としているのか。いや,そもそもネッシーとか雪男とか存在するのか。
ムーをちゃんと読んだことないから,一体全体,何がなにやらわからなくなってきてしまいました。
ああ,「新生活特大号」から,僕は何を思えばいいのでしょう。
僕は何て言えばいいのでしょう
こんな夜は逢いたくて,逢いたくて,逢いたくて。
君に逢いたくて,君に逢いたくて。
また明日を待ってる。