夢数夜〜第一夜・地下鉄の骨〜

こんな夢を見た。


見覚えのあるような、ないような、どことなく懐かしい雰囲気の地下鉄の駅のホームに立っていた私は、停車している列車の中に乗り込んだ。
空いている席はないだろうかと周りを見渡した私は、車内の異様さに圧倒された。
席に座っている人は老若男女さまざまであったが、皆一様に共通している点があるのだ。


「髪の毛がない」


髪が薄いとかそういうレベルではなく、もともとそこに存在しないかのごとく、皆つるつるなのである。
一方、新たに車内に乗り込んだ新参者の私はといえば、普通にふさふさとした毛髪が存在している。
いや、この場合髪があるのは私一人だけなので、普通であるのが彼らで、異常な者が自分だと考えるべきなのだろう。
その異常な存在である私を、彼らは好奇心と冷酷さの混じった目で、遠慮などおかまいなしにじろじろと一斉に見続けるのだ。
止むことのない集中的な視線に耐え切れなくなった私は、ホームに戻ろうと扉に近づいたのだが、見計らったかのようなタイミングで「プシュー」っと音を立てて扉がしまり、列車は動き始めた。



余儀なく車内に留まることになった私は、空いている席を探すため、再びおずおずと周りを見渡した。
すると、まるで私が座るために用意されたかのような空席が、ぽつんと一つだけあるではないか。
しかしながら、車内の皆の目が、「そこに座ることを許さない」と言わんとしているかのようであったため、それはためらわれた。
かといって、つり革に捕まって立っていたとしても、彼らの執拗な視線が止むことはないだろう。
私は数秒考えた後、どうせ見られるのなら座っていたほうがいいだろうと判断し、「あの、すいません、ごめんなさい、失礼します」と必要以上に恐縮しながら席についた。



座ってからも私の心身は休まることはなく、車両内の自分という存在に違和感を感じ、しきりにそわそわとしていた。
すると、隣の席のサラリーマン風の男が突然、「これを…」と言って何かを差し出してきた。
それを手にとってみても「肌色でふにゃふにゃしたゴム製のもの」ということしかわからず、しばしの間それは私を戸惑わせた。
男の意図を理解しかねた私は、もう一度答えを求める目で横を見ると、男はこの車両内の人間にしては珍しく、優しい目で私をはげますかのように見ていた。
そこで気づいたのだ。これは頭にかぶるもの、つまりつるつる頭の「かつら」なのだ、と。
私は隣の男に向かって「ありがとうございます」と頭を下げると、すぐさまかつらをかぶり、「どうだ、これで問題なかろう」と周りをぎょろっと見渡し、ほっと一息ついて席に深く腰掛けた。



しかし…何かおかしい。
確かに周りの冷ややかな視線はなくなったのだが、その代わりに笑いをこらえるような顔で皆がこちらを見ているのだ。
私は不思議に思い、視線の先である頭のてっぺん付近に手をのばすと、そこにはないはずの感触があった。


毛が三本!


なんということだ、これではオバQではないか。
これは私の求めていたものとは違う!
「きっ!」と隣の男をきつくにらみつけると、男は「うぷぷぷっ」と笑いをこらえていた。
私はかつらを手に取り、男に力一杯投げつけた。


      
            
「はぁー」
自然とため息が漏れた。
これでふりだしに戻ってしまった。なんとかこの状況を打破する手立てはないものか。
私は焦っていた。
それにしても、先ほどから列車のスピードが全く緩むことが無いが、いつになったら次の駅に着くのだろうか。駅にさえ着けばすぐに列車を降りてここから逃げ出すのだが。
しかし、私の思いとは裏腹に列車は一向に駅に着く様子を見せず、次第に胃のあたりがきりきりと痛み出してきた。
胃を抑えながら、こみ上げてくる吐き気を抑えるため、一旦席を立ち上がって、ぐっとかがみこみ、「ギリギリ」と音を立てて歯を食いしばった。



すると、どういうことであろうか。数分後、「ギリギリ」と音を立てていた私の歯はぐらついて、口からぽろぽろと抜け落ちてきたのである。
自分の身に降りかかっている異常な状況をすぐに理解できなかった私は、何をするわけでもなく、ただ無意識の内にぼりぼりと頭を掻いた。
ばさばさっと床に落ちる白い束。
よくよく見るとそれは私の毛髪であった。



背中に冷たいものを感じ、周りの目も気にせず列車の窓に顔を近づけて見てみると、頭のつむじの辺りにたった今抜け落ちた毛髪の分だけ、ミステリーサークルのようなぽっかりとした空間ができていた。
窓に映った自分の姿からは色までは判別できなかったが、抜け落ちた毛髪からすると、おそらく髪の毛は全部白髪へと変わってしまったののだろう。
残っている毛髪を引っ張ってみると何の手ごたえもなくするりと髪の毛の束が抜けた。
怖くなった私は、頭に触るのをやめたのだが列車が揺れた拍子に頭をかすかに揺らしたら、秋が深まったころ葉っぱが落ちるように、はらはらと毛が抜け落ちていき、気づくと私の頭には何も残っていなかった。



しばらく呆然とした後、抜け落ちた歯のことを思い出して、慌てて口を空けて口内を観察してみた。すると前歯があるべき部分がすかすかになっていた。
窓を見ながらかろうじて残っている歯を指で前後に動かしてみると、簡単にぽろりぽろりと抜け落ちた。
その後は歯に触れなかったのだが、毛髪同様、頭をわずかに揺らしたら、ぽとぽとと抜け落ちていき、歯が全部無くなるのにさほど時間はかからなかった。
変わり果てた自分の顔を見て、何か声を発しようとしたのだが、歯が無いせいなのか、動揺で舌が回らなかったのか、「ふがふが」と情け無い声しか出せなかった。



時間を置き、ある程度心を静めてから改めて自分の姿を観察してみると、以前とだいぶ変化していることがわかった。
まず、肌はがさがさになり、しわが増え、色は土のように変化していた。
声はしゃがれているし、視力は落ちていて、音も以前より弱々しく感じる。
要するに年老いてしまっていたのだ。



しかし、がっくりと肩を落としそうな状態ではあったが、一つの事実に気づいた私は、自分の身に起こった変化をポジティブに捉えることにした。
車内の人々のつるつる頭、髪の抜け落ちた今の私のつるつる頭、予期せぬ遠回りな道のりではあったが、ようやく私は皆の仲間入りを果たすことができたのだ。



一体回りの連中はどんな顔で自分の姿を見ているだろうかと気になり、目を細めて回りを見渡すと、皆席を立ち上がり列車を降りる準備をしていることがわかった。
いつの間にか駅に着いていたらしい。
「プシュー」と音を立てて、二度と開かないのではないかと思われた扉が開いた。
皆私の存在など忘れてしまったかのように、駅に降りるため扉の方に近寄っている。
まあ、それはそれでよい。あの執拗な視線からようやく解放されるのならば、何も問題は無いだろう、と、思ったそのときである。
扉の近くにいた先ほどのサラリーマン風の男が、私のほうに体を向けると頭に手をやり、カパッと頭にかぶっていたものをはずしたのだ。
するとそれが合図であるかのように、車内にいた他の人々も皆同じような動作で、頭にかぶっていたものをはずし、「にやり」といやらしい笑みを浮かべながらこちらを一瞥すると次々に列車を下りて行った。なんと、私を悩ませていた彼らの頭はそろいもそろってかつらだったのだ!
もちろんかつらの下にはふさふさとした髪の毛がある。
それを見た私は何かしゃべりかけようとしたのだが、やはり「ふがふが」としか声は出なかった。



結局のところ、車内の人々がかつらをはずして駅のホームに降りると、私一人だけが中に取り残され、扉が閉まり、再び列車は動き出した。もはや私は動く気力を失っていた。



それからどれくらいの時間が経ったのだろう。肉体の衰えはより顕著なものとなり目は光を失い、耳は音を失い、やがて心臓が停止した。
その後も列車は駅に着く様子を全く見せず、私一人を乗せ、坦々としたリズムで走り続けた。
まあ、心臓が停止した後も意識があるというのもおかしな話ではあるが、そこは夢なのでしょうがあるまい。
私はどのくらいの時間が経ったのか知りたかったのだが、あいにく時計や携帯電話を持っていないようだったし、持っていたとしても意識はあっても体は動かないので時間を知ることはできないだろう。そもそも夢の中での時間がどういう意味を持つのかさえ、よくわからなかった。
それでも、肉体は緩慢ながらも着実に朽ち果てていき、どこから湧いたのかさまざまな種類の虫が肉体を蝕み、いつしか骨のみになっていた。



あるとき、珍しく列車が激しく揺れたため私の体は席から放り出され、床に強く打ち付けられた。
にぶい音を立てて体の一部が取れた。
それからも列車が揺れるたびに不安定な体勢の体は床の上を転げ回り、あちこちを損傷し不恰好な塊となった。
それでも相変わらず、列車は駅に停まることなく一定のリズムで走り続けている。
骨となった今では、いくら骨がばらばらに散らかろうが欠けようが気にはならない。しかし、いつか駅に止まって人が乗り込んできたときに、私の骨を拾い上げてくれればいいなあ、と思う。
気味悪がられようが、足で蹴飛ばされようが構わない。少しでも気にかけられればいいなあと思うのだ。
そのようなことを考えながら次の駅に到着するのを待っていた。
私の意識は、永遠とも思える時間をただひたすら待ち続けていたのだ。