ぷよぷよフィーバーにおけるとどめの一撃についての考察

ぷよぷよフィーバーオンラインをやっていると相手のぷよをおくスペースが残り2つ分ぐらいしかない、
あるいは、相手が相殺不可能な状態のとき、すでに致死量のおじゃまぷよを送り込んでいる、など
最後まで続けるまでもなく明らかに「勝負あり」という状況になることがしばしばあります。


にもかかわらず7割以上の人は、相手のばたんきゅー寸前になってさらに10連鎖以上の大連鎖を発動し、
相手がばたんきゅーとなっている間も「ズバーン!ドジャーン!ハジャーン!」と次々に大量の
おじゃまぷよを送り込むようです。


なぜこのような現象が起こるのか。これは普通に考えれば、というか考えるまでもなく
「念には念を入れて、万が一にも反撃されないようにおじゃまぷよを送り続けたいからだろう」
という理由が思い浮かぶでしょう。実際初めは私もこのように思っていました。


百獣の王ライオンは兎を狩る際も全力を尽くすといいいます。
これと同様、ぷよにおいて力を抜いてしまいそうな状況でも、敢えて気合を入れておじゃまぷよを
送り込み、完膚なきまでに相手をたたきのめす、という上級者における隙のなさ、思慮深さがさせる
行動なのだと考えられるのではないでしょうか。


しかしながら、私が上記で述べたようなライオン理論を改める必要があるのではないか、とさらに考えるように
なったのはすぐ後のことでした。


確かに4個ぶよがくればフィーバーゲージが満タンになりフィーバーモードに入られてしまう
など、特別な状況下にあるならば、とどめを刺す必要が出てくるでしょう。
しかし、相手が明らかにフィーバーゲージが少ない、逆転可能なフィールドではないという
ときでも上級者のほとんどは、とどめの大連鎖を放ってくることが多いようです。


さあ、ここで矛盾が生じます。
上級者であればあるほど、相手のフィールドの状況を瞬時に把握する能力が高いと思うのですが、
その上級者が、相手の反撃不能状態が明らかなときでも、大連鎖を発動する、というのはおかしい
ではありませんか。



そこで私は次にドミノ理論というのを考え出しました。
ドミノ倒しというのは並べる行為がメインではなく、並べたものを倒すことが最終目的であり
そこにいたって初めて一種のカタルシスを得ることになるのでしょう。


それと同様に、ぷよぷよにおいても大連鎖となるようにぷよを組んでいくこと自体がメインではなく
それを発火して相手におじゃまぷよを降らせることによってカタルシスを得ることが、
ぷよらーたちのぷよにおける大きな楽しみの一つではないでしょうか。
ですから、勝利が明らかなときでも、せっせとくみ上げた連鎖のタネを発火することなく
試合を終えるというのは、「放尿したのに相当の残尿感を感じる」的な不快感をぷよらーに与えてしまう
ため、大抵の人は勝利が明白な場合でも目の前にすぐにも発火できる大連鎖ぷよがあれば
指先でちょこんとドミノを倒すように、つい本能的に発火してしまうのでしょう。


このように私はドミノ理論によって今回のテーマに終止符を打とうとしたのですが、どうもドミノ理論では
説明がきれいすぎるのではないか、もっと真実を見つめるべきではないか、と再び疑問を
感じるようになったため、さらなる理論に考えが至ったのです。


その点に関しては下のコメント欄でY.M氏がもっともらしいことを言っているのでそちらを
参照してください。